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2008.09.09 
「恩師の近況」

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        吉田佐内先生(農林42回卒)  

11月27日、吉田佐内先生のお宅を訪問しました。
先生は、母校に昭和58年4月より3年間、母校の学校長として、母校ならびに福井県農友会の発展にご尽力をいただきました。
定年退職後、引き続き仁愛女子短期大学に専任として勤められ、平成9年に退任、49年の長い教員生活を終えられました。

<福井国体に尽力>
当時は、全国的にも学園紛争の嵐が吹き荒れ、本校でも長髪が自由規制化されたり、その他一泊研修の新設・校舎の新築等、変化の激しい時代の中、先生は県民挙げての大行事であるインターハイ・福井国体の開催にも特段のご尽力をいただきました。
昭和37年、福井国体に備えて、まず、福井県協会の設立にご尽力、各高校は未種目のスポーツを一つ受け持つということで、開催地の今立町に協力する意味でフェンシングを採用し、高体連のフェンシング事務を引き受け、世話役をされました。組織作りや、選手育成等にも手腕を発揮、今日までに五輪、世界選手権代表となる選手を輩出され、県内フェンシングの基礎づくり、発展に寄与されました。その後、県フェンシング協会長を長年務められました。さらに草創期の鯖江高校より優秀な選手が輩出し、国体・インターハイ等に出場して数々の輝かしい成績を残されました。

<農業教育に功績>
 学校においては、「地域の産業構造の変化や、生徒の多様化に応じた農業教育の改善及び充実のための教育課程のあり方」について、二ケ年にわたる研究成果の発表や、環境の変化によりマラソン大会を強歩大会に変更するに至ったことなどが思い出として話をされました。特に印象深いものとしては、90周年の式典並びにブロック塀建設や、特別教棟の改築などをあげられ当時を懐かしそうに振り返りました。
それから、学級懇談会(保護者会)についても話をされ、毎学期の終わりには、担任より成績表を通して個々の生徒に対し適切な指導が行われていたが、学校はどのような教育方針のもとに取り組んでいるかを、全ての保護者に伝える機会とはならなかったので、特に「父親の出席」を要請させていただき、学校の現況と今後の方針等の説明を行い、保護者のご理解とご協力をお願いする機会としたことや、更に、年度毎に地域を変えて、PTA会長・副会長が中心となり、和やかな雰囲気のもとで、地域別の懇談会も開催し、学校運営に指針となるご意見を伺うことができたようです。
農産物の即売についても話をされました。農産物の即売は、以前にもあったようですが、学校は地域に開かれたものであり、地域との密接な関わりの歴史の上に現在があるということで、地域の人々の触れあいと心の交流を積極的に図り、農林高校を理解していただく絶好の機会をではないかと考え、今のような農文祭の行事として復活させたそうです。今では、本校の伝統的行事になっています。このことによって、目的意識をもった生徒が一人でも多く入学して、社会に出てからも活躍が期待されるのではないかと考えたそうです。即売会は、耕志会(農村で活躍している卒業生)の協力を得て実現することができた。と当時の学校での思い出を語っていただきました。

<日々是道場>
先生は「日々是道場」という座右の銘を持っています。これは、自分が弱い人間だから、きちんと自分のなすべきことをわが心に刻みつけて、必ずそれを果たすために、絶えず、身近に備えていた言葉であったようです。何事によらず、心を新たにして出発する際には、自分は今何をしようとしているのか、その目標をはっきりと確認することが大切、目標が定かでないと、人間は弱いものですから、易きに流れて意欲を失ってしまいます。それぞれしっかりした目的・目標を持ち、それに向かって努力するということは、すばらしいことではないか。是非とも「学び」の時代を、より充実したものとするよう心がけて欲しい。先生の好きな言葉に「継続は力なり」がありますが、志の達成のために、何事も粘り強く努力を続けてほしい。と最後に母校の生徒にエールを送っていただきました。

現在、83歳、少し体調を崩したこともあって、体力がやや衰えたとおっしゃっていましたが、お元気で私たちに対応してくれました。元気な様子を会報でお伝えします。ということで自宅を後にしました。尽きない思い出話の数々、貴重な体験をお伺いし本当にありがとうございました。先生の今後益々のご健康をお祈りいたします。

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