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2008.11.17 

■会社訪問■

お仏壇の 「株式会社 滝本仏光堂」

○仏壇・仏具・寺院仏具・神具
仏像・仏壇修理仕込・仏壇企画制作・仏間制作・各宗派本山仏画・仏額・表装全般
本店 大阪府守口市梅園町2-22
℡ 06-6993-0001  フリーダイヤル 0120-001-363



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㈱滝本仏光堂 代表取締役  滝本  正 氏(昭和19年 農林第44回卒)

 創業者 滝本正 創業の志とその歩み
滝本 正  (大正十五年 福井県丹生郡越前町梨子ケ平生)

●生誕地 「梨ケ平」と滝本家
歴史と山紫水明の地として今につたわる梨ケ平。その昔、“一の谷の戦”で敗れた平家の落人が隠家としてつくった七つの“平”のうちの一つである。時代は移り徳川幕府の頃、梨ケ平は天下の直領、すなわち本坊領土として栄え、滝本家は大庄屋をつとめ共に発展してきた。有名な越前水仙の発祥地として、晩秋から春彼岸にかけては花の咲き乱れる、風情豊かな地である。

●大志を胸に戦争へ
時は大正。美しい梨ケ平で農林業を営む家に生まれた滝本正は、少年時代から何か人のためになる仕事をしたい、と望む少年だった。やがて福井農林学校在学中に志願にて第二次世界大戦に従軍。陸軍特特別幹部候補生空隊戦闘機部隊に所属、マレーシアにて戦火をくぐり終戦、復員後卒業。数えで二十の年であった。

●戦争の混乱の中から
戦争体験で何よりも強い意志を身につけた滝本正は、いちはやく戦後経済の復興気運をとらえ、動き始める。各地を回りながら繊維・生花・食品等を商い資金を貯蓄。二十二年故郷に製材所を造り、建築業を営む。その後仏壇の製造に着手。同時期仏門に帰依することを望み、京都府八幡の忍徴院にて二年間の修行に励む。

●仏壇店創業へ
その後、滋賀県日野町平子の澄禅寺において、井上上人(元知恩院副管長)に仕え、上人より特別の才を見出されて仏壇店を興すよう薦められる。以後滝本正は全国をまたにかけての仏壇修復の旅で技術を磨く。その数は千基にものぼった。滝本正を動かした信念は「ひたすらな努力は必ず道を切り拓く」。昭和三十五年、滝本仏光堂は大阪府守口市にて創業の産声をあげた。

●「しあわせ」企業を支えたひとり
人々の暮らしに安らぎを届ける企業として、順調に店舗を拡大。滝本正と滝本仏光堂の歩みは、また、滝本正とそれを支える者たちとの息の合った歩みでもあった。父作治、母りゆの生涯を通して親孝行であったことが、滝本正にとっては精神的に大きな支えであり、又、中でも妻、滝本富子は、福井女子師範学校卒の小学校教諭。真面目で間違ったことの嫌いな同女は、滝本正の最もよき理解者のひとりとして、生涯にわたり経営を支えた。
平成三年六月十二日没。                    合掌。
 
●株式会社 滝本仏光堂
人とともに歩み、人の心を育む。「しあわせ」伝達企業
親から子へ、子から孫へ。有史以来永きにわたり仏壇・仏具は「心の窓」として人と仏、人とご先祖を結び付け、人々の心を支えてきました。滝本仏光堂は人の「心」を育むことを誇りに思い、いかにして、「しあわせ」を提供していくかを常に考えております。そのため、事業は仏壇・仏具の製造販売だけにとどまらず、修復や寺院仏具の設計・施工、そして美術品の取扱・・・と広がっております。時を超え受け継がれる和の文化を通じて「しあわせ」を紡ぐ、「しあわせ」伝達企業。
滝本仏光堂の創業の志はここに脈々と、息づいています。

㈱滝本仏光堂 代表取締役  滝本  正さん

人は心静かに何かを祈るとき、知らず知らずのうちに手を合わせている。亡くなった方の面影を偲ぶ時、縁ある人の幸せを願う時、そして迷いを絶ち決意を決断する時、福井県越前町、越前岬に群生する越前水仙の発祥の地、また、「日本百選」の千枚田で有名な梨ケ平で滝本氏は生を受けた。大正15年4月22日生まれ、この誕生日で80歳、傘寿を迎える。平家の落人が流れつき住み着いたといわれる地で、生家は代々大庄屋を務めたという。歴史を背負った家には土地の人とは幾分違う言葉が残り、日常語として使っていたそうだが、あまり多くを語りたがらなかった父母に滝本家のルーツを聞くことはなかった。

4人兄弟の長男。県立福井農林学校を卒業した後、百姓をしながら持ち山の材木を使って、仏壇用の製材所を経営していた。しかし、商売をさせたくない父は「店をするなら千本の仏壇を手がけてこい」と息子を家から送り出した。材質の善し悪し、作りの仕組み、仏工としての基礎は修繕修理の中で学び、理解し、そして腕を磨いた。目利きの修行は関東・近畿・中国地方へ流れながら身についた。働けば余分なことは考えない。何の栄養剤を飲むよりもまずは仕事だ。そして精神修養のために2年間、寺に入門した。

早朝よりの厳しい仏道修行、そして得道直前に師から言われた、僧侶になるよりは仏壇屋になったらどうか。一本筋の入った、折り目正しい気質に師は商売人としての器量を見た。
商売をするなら、商売の神様、松下幸之助がいる守口へ。日の出の勢いで世界へ進出するナショナルのお膝元を出発の地に選んだ。昭和35年、35歳の時だった。現在支店を含め10店舗、仏壇の販売は元より寺院仏具の設計施工から、仏壇の洗い・修復まで業務の幅は広い。父譲りの礼儀正しさは、従業員一人ひとりの爽やかで丁寧な接客態度の中に生きている。「お客様はお金で仏壇を買うだけでなく、先祖を敬い、手を合わせる為に買われる。物を買うのとはどこか違う気がする。ほんまに偉い人やなあといつも思う」と滝本氏。購入者への感謝の気持の心、報恩の心が尊敬の思いになってアフターケアに現れている。些細な事にも親切・丁寧・ご縁を忘れずにと。

昭和50年、生家の隣に明治百年を記念して城郭仕様の「滝本美術館」を建築した。一の谷の戦いで敗れた平家の落人が流れ落ち延びた先の地、梨ケ平、その後、徳川幕府の直領として歴史を重ねた中で滝本家に代々伝わってきた家宝の中には、大名が足を洗った金箔塗りの桶もあるという。
こうした歴史遺産の数々と永年にわたり収集してきた宝物を地元の人々の希望もあって鍵は村に預け一般公開している。テレビコマーシャルの女の子が可愛い声で訴えかける「手と手を合わせ幸せ」。滝本氏の心情が、この短い言葉に表されている。こんな不条理な世の中だからこそ、人の温もりと人の暖かさが求められる。人は繋がる生命に気づいた時、人の思いやる心が生まれ、より人間らしい輝きはじめる。悟達の大正男は健在である。


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