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2006.12.29 沿革史
母校・農友会 沿革の概要

年度 事業沿革
明治26・校長 萩原 逢
 ・農事講習所設立認可
27・本所落成9月 開所10月(修業年限2年)
28・本校農科(福井市日之出下町)
 ・分校水産科(遠敷郡竹原柑)
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32・校長 三浦直次郎
 ・分校水産科独立する(修業年限3年)
33・本校甲種農学校となり校名改称(修業年限3年)

34・校長 山崎 熊太

35・校長 橘 彪四郎
 ・吉田郡円山西村町屋に移転する
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39・校長 出田 新
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41・校名改称し、農科(1部)林科(2部)に分け(修業年限4年)
42・蚕業別科新設(修業年限6ケ月)
43・福井県農友会創設
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45・蚕業別科細則改正(修業年限1年)

大正2
3・学校演習林を大野郡平泉寺村小矢谷に設置
 ・9月寄宿舎成る
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5・校長 山下 昇
6・講堂兼生徒控所移築竣工
7・4教室、寄宿舎一棟増築、食堂炊事場、浴室
8・農林産製造所新築
9・校長 森 耕一
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12・校長 宮沢 錦雄
 ・蚕業別科を蚕業専修科と改称
13・修業年限(尋小卒)5ケ年制の学校となる
14・創立30周年記念式典挙行
15

昭和2・校長 加藤 竹雄
 ・蚕業専修科学則改正 修業年限1年6ケ月となる
3
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5・教育勅語渙発40周年式挙行
6
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9・創立40周年記念式典挙行
 ・昭和9年版会員名簿発行
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11・蚕業専修科閉鎖し、農業科、林業科、農蚕科に改める
 ・昭和11年版会員名簿発行
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14・昭和14年版会員名簿発行
15・吉田郡円山西村新保に校舎移転する
16・新校舎落成
 ・昭和16年版会員名簿発行
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18・昭和18年版会員名簿発行
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20・女子部新設
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22・学制改革六・三・三制実施
23・農業科、林業科、女子部、工業科併置
 ・福井大震災により校舎全壊
24・福井県高志高等学校
 ・工業科分離
25・南校舎(普通課程、家庭技芸課程)
 ・北校舎(農業課程)
26・農業課程内に農業土木科、農村家庭科新設
 ・昭和26年版会員名簿発行

27・校長 渡辺 敬一

28・校長 赤沢 虎太
 ・福井県福井農林高等学校
 ・福井県高志高等学校より分離独立
 ・福井県農友会会則制定
29・化学、農業工作、土木、農産加工各教棟落成
30・創立60周年記念式典挙行
 ・園芸科新設
 ・昭和30年版会員名簿発行
31・文部省産業教育指定校
32・福井県立福井農林高等学校
33・福井県立福井農林高校60年史成る
 ・県産業教育校指定
34・本館落成
35・生物教棟 鶏舎完成

36・校長 尾谷 孝一
 ・体育館完成 ・昭和36年版会員名簿発行
37・農産加工室、温室二棟完成、生活科教棟増築
38・農村家庭科改め生活科
 ・昭和38年版会員名簿発行
39・創立70周年校舎落成記念式典挙行
 ・「農友会報」新聞創刊
40・演習林宿舎、園芸実験室、温室一棟完成
41・第二農場開設
 ・昭和41年版会員名簿発行
42・プール、寄宿舎完成
43・大量炊事場、鶏舎、温室三棟完成

43・校長 真柄 佐次
44・昭和44年版会員名簿発行
45・第二教棟(鉄筋三階)落成

46・校長 西谷 寿道
 ・武道館、第二農場園芸実習室、材料庫、肥料室完成
47
48・創立80周年記念式典挙行
 ・第24回農業クラブ全国大会農農業検定競技会場
 ・創立80周年記念事業の一環として和風、現代和風、洋風の三庭 園完成(農友会寄付)
 
49・校長 馬場源次郎 ・福井県農友会会則一部改正
・福井県進路指導研究指定校(昭49、50年度)
 ・福井県立福井農林高校80年史成る

50・校長 大藪  忠
・インドネシア教育視察団来校25名 10月23日
 ・進絡指導研究発表 11月14日
51・推薦入学制度発足 (面接日2月6日)
 ・林業科の募集を停止し、林業緑地科設定、
 ・募集開始
 ・収納舎完成
52・農林数珠、畜産実習室、相撲場完成
53・温室二棟完成
 ・昭和53年版会員名簿発行
54・校長 加嶋 守一
55・農業科、園芸くくり募集開始
 ・農業土木教棟完成
56・グランド整備
 ・修明寮改築完成
57・福井県教育課程研究指定校 (昭57・58年度)

58・校長 吉田 佐内
 ・教育課程研究発表 2月22日
・福井県農友会会則一部改正
 ・昭和58年版会員名簿発行
59・創立90周年記念式典挙行、本館(管理棟)完成
・ブロック塀完成(農友会寄贈)
・福井県立福井農林高校90年史成る
 ・中学生体験入学く8月)実施
60・本校PTA、全国高等学校PTA連合会より団体表彰
 ・特別教棟(4階建、家庭、理科、芸術)完成
 ・入学者選抜学力検査の際、受験生に面接実施
 ・福井県農友会会則一部改正

61・校長 東  哲郎
 ・畜産育雛舎完成
62・第二体育館完成
 ・中国青年来校 25名10月13日
63・校長 多田 良章
 ・園芸実習教棟完成

 ・校長 鈴木 和男

平成元年 校長 今田惣兵衛
 ・クラブハウス完成
 ・インドネシア農業研修生来校実習
2・テニスコート完成
 ・マレーシア青年指導者との交流会(25名)9月5日
 ・インドネシア・タイ青年実習生来校実習
 ・地方教育費調査の成績優秀につき文部大臣表彰 2月1日
3・全日本学校関係緑化コンクール学校林の部 準特選入賞5月26日
・施設リフレッシュ事業(第一体育館)
4・農業科、摩芸科、杯業緑地科、農業土木札生活科の募集を停止し、生物生産科、環境工学科、生活科学科、生産流通科設定、募集開始
・施設リフレッシュ事業く第三教棟)              
5・創立100周年記念式典挙行・創立100周年記念事業の一環として農友会館「大地」の建設、
・記念庭園完成(農友会寄付)

6・校長 田代 忠昭
 ・福井県立福井農林高校百年史成る
 ・農友会事務局設置
 ・会報「大地」第一号発行(年2回以後継続)
 ・三者教育懇談会(学校・PTA・農友会)第1回(以後継続)
7・第1回インドネシア農業研修生派遣
 ・農業実習棟完成
 ・福井県農友会会則一部改正
8・第2回インドネシア農業研修生派遣
 ・インドネシア農業省役員及び農業高校長来校(15名〉 9月27日
 ・平成8年版会員名簿発行 ・母校農文祭後援事業第1回(以後継続)

9・校長 水 亮博
 ・第3回インドネシア農業研修生派遣
・インドネシア農業高校研修生来校(19名)10月27日
 ・施設リフレッシュ事業(第二教棟〉、プール改装
 ・ふれあい農園開設
10・ふれあいマート開設 ・産業教育研究委員会設置
11・武道館完成
 ・制服改定(男女ブレザースーツ〉
 ・第4回インドネシア農業研修生派遣
 ・沿革史編集委員会設置 ・ふるさと通信委員会設置
12・グラウンド改修事業
 ・国旗掲揚塔設置 第三教棟西側改修事業(耐震)
 ・第5回インドネシア農業研修生派遣
 ・国立タンジュサリ農業高校と友好協定書調印
 ・全国高等学校PTA連合会会長賞受賞(50周年記念〉

13・校長 山内 雅夫
・学校安全教育研究推進指定校(平13・14年度)
14・インドネシア国王タンジュサリ農業研修生来校(15名)8月1日
 ・PTA文部科学大臣表彰
 ・相撲道場改修工事
 ・相談室・進路指導室改修工事 ・平成14年版会員名簿発行
15・創立110周年記念式典挙行
 ・インドネシア国立タンジュサリ農業高校生短期留学2名受入れ(5月~7月)
・第6回インドネシア農業研修生派遣

16・校長 西田 哲章 
・キャリア教育推進地域指定事業実践協力校(平成16.17.18年度)
・インドネシア国立タンジュサリ農業高校生短期留学2名受入く9~11月)
・普通教室にクーラー設置を決定

18・校長 田島 千利
 ・文部科学省より第8回日本水大賞で環境土木部が大賞を受賞
・文部科学省の平成18年度「目指せスペシャリスト」研究開発校に 指定を受ける
 ・インドネシア国立タンジュサリ農業高校生短期留学2名受入(9~11月)
 ・第7回インドネシア農業研修生派遣(1月)
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2006.12.10 豊田三郎画伯
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豊田三郎画伯白寿祝賀会

世界にはばたく ふるさとの画家  古里の山河を描く
    洋画家 豊田 三郎氏(農林27回卒)
       
 福井の山里に生まれ育った豊田三郎さんは、ふるさとに住み続け、94歳の今日まで慣れ親しんだその山河を描き続けている。ふるさとの自然を描く画家はどこにでもいそうだが昔も今も、ひたすらふるさとを描き続けている画家はきわめて稀だ。富士や十和田に移り住み、晩年はオリーブの瀬戸内を描き続け、〃牛窓の聖者〃と呼ばれた佐竹徳、奥多翠の山里に移り住んだ川合玉堂などわずかな先例しかない。しかも生れてからずっとふるさとの自然に没入して描き続けた画家となると豊田三郎さんが初めて登場したふるさとの画家となるかもしれない。
 画家はかって自分の画業をこう記していた。「目の前に見える風景をそのまま映すだけならば、殆ど誰にでも出来ることであるが、それを芸術的な絵に描くとなると誰にでも出来ることではない。(中略)5歳の時に画家になりたいと発願してより今日まで、気も遠くなるほどの長年月の修練と願望によって、漸く現象物の奥なる美を感ずることが出来るようになってきたと思われるので、これを逃すことなく執拗に探究し、例え悲願であってもよい、私の責任に於いて必ず神技の如さ風景画をなさねばならぬと努力を重ねている。
(1990年「折々放淡」)
 自然物の話を聞さ、風景が語る芸術的、美的物語に心を傾け、そうあらねばならぬ「眞」なるものを求める画家は、「芸術は人の心を尊真に導さ、豊かに満たし、平安をもたらし、しかも文化的レベルまでを高める体のものにならなければならない。」と考える。
 古今東西、画家の唯一の師は自然であった。父母や兄弟、親友と同じようなふるさとの自然に向き合い、師事帰依して生まれ出た芸術が豊田三郎の絵画芸術だ。ふるさとの自然から生まれ出る芸術の姿にふれ、われわれはふるさとの自然が秘める力、見慣れたつもりの周囲の風景と自然への新しい目と心を開かせられるだろう。
               福井県立美術館長 村瀬 雅夫 氏


 昭和3年母校ご卒業後、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科に入学された。終戦後の昭和20年代は、郷里の中学校で美術教員としてお務めになり、昭和57年73才から画業一筋の人生を歩まれています。
郷里の山河、特に古里の杉を画かれた作品が多く、92才のご高齢ながら現在なおご壮健にて創作にご活躍中です。帝国美術学校在学中に国画展に初入選される才能の持ち主で、今日まで各展に出品された幾多の絵画は、国内はもとより国際的にも高く評価を受けられています。
 このたび、氏の代表的作品『瀞(トロ)』が、タイ国の国王から指定され、赤十字社活動資金獲得のためのカレンダ(2000)のページを飾り世界各国に紹介されています。特に、『瀞』は、油絵20号、平成4年の作品。今日まで、日本自然保護協会主唱『環境保全美術カレンダー93』、アトランタオリンピックポストカードにも採用され、世界芸術文化遺産に認定、沖縄平和芸術祭にて芸術大賞を受賞されています。
 南仏ニース市国際展でグランプリ賞を受賞された作品『天到不屈』(100号)は、母校創立百周年記念時に農友会館「大地」にご寄贈をいただきました。
 平成8年には、農友会館にて氏の個展を開催し、会員多数が名画を鑑賞、平成8年度総会では記念講演を拝聴、芸術家として国際的視野でのユーモアにあふれた熱弁は印象的でした。
昨年、四季折々に綴られた文章を集約された『折々放談』の随筆集が福井新聞社より出版されています。ご高齢にもかかわらず美術の世界で今なお現役作家として活躍されている先輩に対し、今後のますますのご活躍をご期待いたしております。


平成18年12月10日(日)
白寿を迎えられた先生の白寿祝賀会&個展が開かれていた「みらくる亭」にお伺いし、大変お忙しい中インタビューをさせていただきました。
まず、最初に、長寿の秘訣・健康の秘訣についてお伺いをしました。先生は、60歳までは弱いお身体だったそうです。しかし、体調を崩して好きな絵が画けないと困るので、健康には十分に気をつけながら毎日を過ごされたようです。
65歳頃から自分流の柔軟体操をするようになり、朝起きたら、毎日、30分ぐらいの時間をかけて、20節ほどの動作を10~20回繰り返し行うそうです。また、薬は飲まないように心掛けておられると話して下さいました。とにかく、それを毎日続けることが何より大切なことだと、にこやかに話されたのがとても印象に残りました。すばらしい作品に囲まれ華やかな雰囲気の中でお話をお聞きし、心も和みましたが、最後に、福井農林高校の生徒さんに何か励ましの言葉をとお願いしましたら、快く3つのことを話されましたのでご紹介いたします。

1)心の中で、いつか何かやるぞ!という気持ちを持ってほしい。
2)常に夢を持って生きてほしい。
3)何事もあきらめないでほしい。
白寿のご高齢を迎えながらも、日々制作に精進し、美術の世界で今なお、現役でご活躍されておられる先生には頭が下がります。あっという間の時間でしたが、[先生の元気な様子を会報で皆様にお伝えします。」ということでインタビューを終えました。先生、ありがとうございました。いつまでもお元気でご活躍下さることを願っております。
        取材:中島寿美子(農高12回卒)



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 農友会員の最長老となった豊田三郎先輩の近況を取材すべく福井市東河原(元美山町)のご自宅を訪ねました。先輩は私達を快くアトリエへ案内して下さいました。懇談の概要は次のとおりです。

○壮健・長寿の秘訣は

一人暮らしながら三度の食事はとり、規則正しい生活が自分に活力をくれている。
朝5時半起床、床の中で数分間の柔軟体操、神仏への礼拝のあと、朝食の準備。9時には自宅2階のアトリエへ入る。これを年中毎日基本日課としている。

毎年夏1カ月間、長女のいる富士吉田へ避暑をかね休養に行く。この楽しみも長生きの要因となっている。

○福井豪雨の影響は
平成16年7月の福井豪雨被災により、自分の主なスケッチ対象としていた足羽川河畔の美しい自然の姿が失われたのは誠に残念。それでも天気の良い日には道具を持ってスケッチに出かける現場主義の理論に変わりはない。しかし現場の無残な姿になかなか絵筆はすすまない。

○「克己」のこと
長い年月同じことを繰り返していると、つい気持ちが緩む。そんな時には「克己」という言葉を思い出し、自分自身に言い聞かせて気持ちを引き締めている。そうしなければ良い作品は描けない。「自分の絵は、まだまだ未完成、勉強が足らん」と謙そん。まさに老体にムチ打ちだ。

○近作
福井豪雨以来、現場へ出ても満足な風景が少なくなり、自宅畑でとれたカボチャ等を対象にした静物画の作成が多くなった。静物画では、画面へ余分な背景等を入れない「余白の美」の追求に取り組んでいる。

○世界各地への出展
洋画家豊田の名は世界に広まった。世界各地からの出展要請は増加傾向にある。
昨年フランスでの巨匠セザンヌ没後百年記念大展への特別出展要請があり多忙だった。
現在、フランス画壇では「豊田グリーン」と称して、豊田作品の美しい新緑の色彩が話題となっており、世界の洋画界に君臨する一人として美術出版社等の取材も多い。

○長年描かれた作品の数は? また、その作品はどこにあるのか
数は自分でもわからない位多い。アトリエに保管してある絵は若い頃のものが多く人前には出せない。自分では80歳過ぎてからの作品が人様に観てもらえるものだと思っている。
作品は、買い上げていただいたものもあるが、各方面への寄付が多い。
旧美山町へは百余点贈ったが、福井市は旧美山町役場(現 福井市美山総合支所)の三階を「豊田三郎ギャラリー」として開放し、常設展して下さっている。

豊田先輩の年齢を感じさせないバイタリティーな姿に、後輩の私達は圧倒された感じだった。また、長い白髪と白い髭の笑顔は世界にアピールするスマイルだ、
明治生まれの大先輩 万歳!                    取材:峰吉勝博(農高4回卒)



福井刑務所で講話
「100歳人生訓 更生の糧に」
今年、九月に百歳を迎え、なお意欲的に古里美山を描き続ける洋画家と豊田三郎さん=福井市東河原町=は八日、同市の福井刑務所で受刑者向けに講演した。八十歳を超えてから絵が上達したことなど、これまでの人生を振り返りなが、や「今、思い直して奮発すれば、挽回する力はある」と語りかけた。

受刑者の更生の一助にと企画された。「私考・人の身とは」と題した講話を約
三百七十人の受刑者が聴講した。
 豊田さんは「人間の体は仏の分身、つまり皆さんは仏と同じなんです。そう考えれば悪いことはできないし、そう覚悟しなければいけない」と力説した。
 画家を目指して二十六歳で東京に旅立ったときのエピソードも紹介。画家になることに反対する親から勘当されたことで、身もだえするほど郷愁が募ったと述べ「ふるさとは何百代もの先祖がつくり上げ、その血潮が流れている。大事にしなければ何もできない」と古里を描き続ける理由を話した。
八十歳のとき、それまでは人の喜ぶ絵を描いていたから上達しなかったと気づき、それ以後どんどん絵が良くなるのを実感できたと話した。「皆さんも今から奮発すれば挽回できる。み仏が守ってくれる」と奮起を呼び掛けた。
 受刑者は真剣な表情で豊田さんの人生訓に聴き入った。窃盗の罪で刑に服している北海道出身の男性受刑者は「やる気次第でチャンスはあると分かった。いいことばかりではないと思うが、逃げずに頑張りたい。講話でパワーをもらえた」と笑顔を見せていた。



百歳の誕生日に記念画集を発刊

福井市美山地区に住み、・ふるさとの自然を描き続ける洋画家、豊田三郎さんの満百歳を記念した画集「寿楽無窮」が、誕生日の18日、福井新聞社から発刊される収録作品ば風景画68点、静物画36点、自画像1点の計105点すべてを豊田さん自らが選び抜いた。制作年の古い作品から順に掲載しているため、作画傾向の移り変わりが見て取れる画集となっている。
「杉の画家」と呼ばれるほど美山地区の山林を描写した作品は多く、さまざまな緑色を生み出す技術は、「トヨダ グリーン」と称されるほど。
2004年、福井豪雨により故郷の自然が痛めつけられたのを機に本格的に静物画を始めた.研究意欲はますます旺盛で、画集タイトル「寿楽無窮」は、歳を重ねてなお楽しみは尽きない、と豊田さん自身が名付けた。
作品のはか、巻頭では豊田さんの日常を撮った写真グラフを掲載、百歳を迎えた今でも、地元の山河をスケッチに出掛ける様子を紹介、身上である「現場主義」を生涯貫く姿がよく分かる.また、折々に書き留めた絵画に対する思いや考えを、随筆や放談として収録した。
豊田さんは1908(明治41)年生まれ。
県立福福井農林学校を卒業後、父から農林業技術を学んだが、画家になりたいという思いは強く、24歳で上京し帝国美術学校(現・武蔵野美術大)に入学。終戦後帰郷し、50年から中学校の美術教員を17年間務めた。
 画業に専念したのは、妻が他界した後の82年から。80歳となる88年に代表作「黎明」(100号)を示現会展へ出品。以来、世界各地の美術展に要請出品を重ね、92年制作の「瀞」は世界芸術文化遺産に認定れた。2002年には世界各国芸術交流活動の功績により「ユーラシアン・レガシー」の称号を贈られた。
地元への貢献も大きく、98年に福井新聞文化賞功労賞を受賞、01年には美山町(現福井市)の名誉町民となっている。福井市役所美山総合支所には記念ギャラリー、収蔵庫が設けられているほか、同市役所市民ホールにも豊田作品常設ギャラリーがある。
 百歳記念画集は、A4判変型、146頁で、8400円。

 問い合わせ、購入申し込みは、福井新聞社事業局=0776(57)5180。





2006.12.04 前事務局長 退任のあいさつ
退任に当たって  西澤 薫

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 平成14年6月、前任から受け継いで4年間、会員各位のご支援で大過なく勤め終え、後継を託す事ができて心から喜んでおります。
立派な会館が出来、専任事務員を置くなど在職中には夢の中の又夢でしたが、それが現実となり会の発展にこの上ない喜びでした。
在職中から同窓会事務に携わってきた一人として回顧録をひもとく思いでこの仕事につきました。しかし、既に70歳を越え、そのうち適任者が見つかったら交替をと思っていたのでとても安堵いたしております。この間の思い出を一筆したためて退任の弁といたします。

○会報取材
会員の訪問記は、会館に立ち寄って下さった縁で返礼も兼ねてお訪ねして、昔日の思い出、只今の暮らし向きをお聞きして掲載しました。
高浜町在の一瀬和夫さん(昭和5年卒)は、今年も総会に出席できたとの「命の尊さ」を喜び、戦死した会員を数えて冥福を祈る信仰に。特攻隊長だった伴岩男さん(昭和14年卒)はお会いした時に「私は余命幾許もない」と切り出されびっくりしておりましたところ、あの戦争をくぐり抜けてきた「命の尊さを」。森義夫さん(昭和18年卒)は、バイオの真髄を母校に伝授される現役の活躍姿に。他にも巡り会えた先輩、後輩のお話しに大きな感動をいただきました。

○総会の開催
毎年6月恒例の総会、満堂の盛会に感激をいっぱい味わいました。半年前から70、60、50、40歳代の方に当番になった主旨、委員委嘱、会員への呼びかけ、会合出席、参加協力という周到な準備があってはじめて当日の成果を見ることの現実、在校生の力のこもった演示を鑑賞して感激したと帰ってゆかれる姿をみて、来年もまた力一杯頑張ろうという意欲を経験しました。

○事務局の活動
支会・分会の開催に出席して会の模様を会報に報告するのは容易でしたが、予算、決算は会の組織が大きいだけに精通しない私には大変な労作でした。110周年の桜植樹記念事業は、植樹場所の堤防が完成せず、当日までハラハラいたしました。基金の募集も目標に今一歩でありながら、予算の収入、支出は裏打ちされなければならず苦労もひとしおという体験でした。会の盛衰は、会費の集まり具合にあり、その願いは会報によって支援への志を仰ぐという誠に素朴なお願いに頼る他ございませんでしたが、早速お応え下さって送金下さった会員への謝意、領収書の送付には本当に勇気づけられ天にも昇る心地でした。
思い出は尽きませんが、会長をはじめ激励下さいました各位に心からのお礼といたします。ありがとうございました。




2006.12.02 大地だよりトップ写真用
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