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2006.12.10 豊田三郎画伯
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豊田三郎画伯白寿祝賀会

世界にはばたく ふるさとの画家  古里の山河を描く
    洋画家 豊田 三郎氏(農林27回卒)
       
 福井の山里に生まれ育った豊田三郎さんは、ふるさとに住み続け、94歳の今日まで慣れ親しんだその山河を描き続けている。ふるさとの自然を描く画家はどこにでもいそうだが昔も今も、ひたすらふるさとを描き続けている画家はきわめて稀だ。富士や十和田に移り住み、晩年はオリーブの瀬戸内を描き続け、〃牛窓の聖者〃と呼ばれた佐竹徳、奥多翠の山里に移り住んだ川合玉堂などわずかな先例しかない。しかも生れてからずっとふるさとの自然に没入して描き続けた画家となると豊田三郎さんが初めて登場したふるさとの画家となるかもしれない。
 画家はかって自分の画業をこう記していた。「目の前に見える風景をそのまま映すだけならば、殆ど誰にでも出来ることであるが、それを芸術的な絵に描くとなると誰にでも出来ることではない。(中略)5歳の時に画家になりたいと発願してより今日まで、気も遠くなるほどの長年月の修練と願望によって、漸く現象物の奥なる美を感ずることが出来るようになってきたと思われるので、これを逃すことなく執拗に探究し、例え悲願であってもよい、私の責任に於いて必ず神技の如さ風景画をなさねばならぬと努力を重ねている。
(1990年「折々放淡」)
 自然物の話を聞さ、風景が語る芸術的、美的物語に心を傾け、そうあらねばならぬ「眞」なるものを求める画家は、「芸術は人の心を尊真に導さ、豊かに満たし、平安をもたらし、しかも文化的レベルまでを高める体のものにならなければならない。」と考える。
 古今東西、画家の唯一の師は自然であった。父母や兄弟、親友と同じようなふるさとの自然に向き合い、師事帰依して生まれ出た芸術が豊田三郎の絵画芸術だ。ふるさとの自然から生まれ出る芸術の姿にふれ、われわれはふるさとの自然が秘める力、見慣れたつもりの周囲の風景と自然への新しい目と心を開かせられるだろう。
               福井県立美術館長 村瀬 雅夫 氏


 昭和3年母校ご卒業後、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)西洋画科に入学された。終戦後の昭和20年代は、郷里の中学校で美術教員としてお務めになり、昭和57年73才から画業一筋の人生を歩まれています。
郷里の山河、特に古里の杉を画かれた作品が多く、92才のご高齢ながら現在なおご壮健にて創作にご活躍中です。帝国美術学校在学中に国画展に初入選される才能の持ち主で、今日まで各展に出品された幾多の絵画は、国内はもとより国際的にも高く評価を受けられています。
 このたび、氏の代表的作品『瀞(トロ)』が、タイ国の国王から指定され、赤十字社活動資金獲得のためのカレンダ(2000)のページを飾り世界各国に紹介されています。特に、『瀞』は、油絵20号、平成4年の作品。今日まで、日本自然保護協会主唱『環境保全美術カレンダー93』、アトランタオリンピックポストカードにも採用され、世界芸術文化遺産に認定、沖縄平和芸術祭にて芸術大賞を受賞されています。
 南仏ニース市国際展でグランプリ賞を受賞された作品『天到不屈』(100号)は、母校創立百周年記念時に農友会館「大地」にご寄贈をいただきました。
 平成8年には、農友会館にて氏の個展を開催し、会員多数が名画を鑑賞、平成8年度総会では記念講演を拝聴、芸術家として国際的視野でのユーモアにあふれた熱弁は印象的でした。
昨年、四季折々に綴られた文章を集約された『折々放談』の随筆集が福井新聞社より出版されています。ご高齢にもかかわらず美術の世界で今なお現役作家として活躍されている先輩に対し、今後のますますのご活躍をご期待いたしております。


平成18年12月10日(日)
白寿を迎えられた先生の白寿祝賀会&個展が開かれていた「みらくる亭」にお伺いし、大変お忙しい中インタビューをさせていただきました。
まず、最初に、長寿の秘訣・健康の秘訣についてお伺いをしました。先生は、60歳までは弱いお身体だったそうです。しかし、体調を崩して好きな絵が画けないと困るので、健康には十分に気をつけながら毎日を過ごされたようです。
65歳頃から自分流の柔軟体操をするようになり、朝起きたら、毎日、30分ぐらいの時間をかけて、20節ほどの動作を10~20回繰り返し行うそうです。また、薬は飲まないように心掛けておられると話して下さいました。とにかく、それを毎日続けることが何より大切なことだと、にこやかに話されたのがとても印象に残りました。すばらしい作品に囲まれ華やかな雰囲気の中でお話をお聞きし、心も和みましたが、最後に、福井農林高校の生徒さんに何か励ましの言葉をとお願いしましたら、快く3つのことを話されましたのでご紹介いたします。

1)心の中で、いつか何かやるぞ!という気持ちを持ってほしい。
2)常に夢を持って生きてほしい。
3)何事もあきらめないでほしい。
白寿のご高齢を迎えながらも、日々制作に精進し、美術の世界で今なお、現役でご活躍されておられる先生には頭が下がります。あっという間の時間でしたが、[先生の元気な様子を会報で皆様にお伝えします。」ということでインタビューを終えました。先生、ありがとうございました。いつまでもお元気でご活躍下さることを願っております。
        取材:中島寿美子(農高12回卒)



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 農友会員の最長老となった豊田三郎先輩の近況を取材すべく福井市東河原(元美山町)のご自宅を訪ねました。先輩は私達を快くアトリエへ案内して下さいました。懇談の概要は次のとおりです。

○壮健・長寿の秘訣は

一人暮らしながら三度の食事はとり、規則正しい生活が自分に活力をくれている。
朝5時半起床、床の中で数分間の柔軟体操、神仏への礼拝のあと、朝食の準備。9時には自宅2階のアトリエへ入る。これを年中毎日基本日課としている。

毎年夏1カ月間、長女のいる富士吉田へ避暑をかね休養に行く。この楽しみも長生きの要因となっている。

○福井豪雨の影響は
平成16年7月の福井豪雨被災により、自分の主なスケッチ対象としていた足羽川河畔の美しい自然の姿が失われたのは誠に残念。それでも天気の良い日には道具を持ってスケッチに出かける現場主義の理論に変わりはない。しかし現場の無残な姿になかなか絵筆はすすまない。

○「克己」のこと
長い年月同じことを繰り返していると、つい気持ちが緩む。そんな時には「克己」という言葉を思い出し、自分自身に言い聞かせて気持ちを引き締めている。そうしなければ良い作品は描けない。「自分の絵は、まだまだ未完成、勉強が足らん」と謙そん。まさに老体にムチ打ちだ。

○近作
福井豪雨以来、現場へ出ても満足な風景が少なくなり、自宅畑でとれたカボチャ等を対象にした静物画の作成が多くなった。静物画では、画面へ余分な背景等を入れない「余白の美」の追求に取り組んでいる。

○世界各地への出展
洋画家豊田の名は世界に広まった。世界各地からの出展要請は増加傾向にある。
昨年フランスでの巨匠セザンヌ没後百年記念大展への特別出展要請があり多忙だった。
現在、フランス画壇では「豊田グリーン」と称して、豊田作品の美しい新緑の色彩が話題となっており、世界の洋画界に君臨する一人として美術出版社等の取材も多い。

○長年描かれた作品の数は? また、その作品はどこにあるのか
数は自分でもわからない位多い。アトリエに保管してある絵は若い頃のものが多く人前には出せない。自分では80歳過ぎてからの作品が人様に観てもらえるものだと思っている。
作品は、買い上げていただいたものもあるが、各方面への寄付が多い。
旧美山町へは百余点贈ったが、福井市は旧美山町役場(現 福井市美山総合支所)の三階を「豊田三郎ギャラリー」として開放し、常設展して下さっている。

豊田先輩の年齢を感じさせないバイタリティーな姿に、後輩の私達は圧倒された感じだった。また、長い白髪と白い髭の笑顔は世界にアピールするスマイルだ、
明治生まれの大先輩 万歳!                    取材:峰吉勝博(農高4回卒)



福井刑務所で講話
「100歳人生訓 更生の糧に」
今年、九月に百歳を迎え、なお意欲的に古里美山を描き続ける洋画家と豊田三郎さん=福井市東河原町=は八日、同市の福井刑務所で受刑者向けに講演した。八十歳を超えてから絵が上達したことなど、これまでの人生を振り返りなが、や「今、思い直して奮発すれば、挽回する力はある」と語りかけた。

受刑者の更生の一助にと企画された。「私考・人の身とは」と題した講話を約
三百七十人の受刑者が聴講した。
 豊田さんは「人間の体は仏の分身、つまり皆さんは仏と同じなんです。そう考えれば悪いことはできないし、そう覚悟しなければいけない」と力説した。
 画家を目指して二十六歳で東京に旅立ったときのエピソードも紹介。画家になることに反対する親から勘当されたことで、身もだえするほど郷愁が募ったと述べ「ふるさとは何百代もの先祖がつくり上げ、その血潮が流れている。大事にしなければ何もできない」と古里を描き続ける理由を話した。
八十歳のとき、それまでは人の喜ぶ絵を描いていたから上達しなかったと気づき、それ以後どんどん絵が良くなるのを実感できたと話した。「皆さんも今から奮発すれば挽回できる。み仏が守ってくれる」と奮起を呼び掛けた。
 受刑者は真剣な表情で豊田さんの人生訓に聴き入った。窃盗の罪で刑に服している北海道出身の男性受刑者は「やる気次第でチャンスはあると分かった。いいことばかりではないと思うが、逃げずに頑張りたい。講話でパワーをもらえた」と笑顔を見せていた。



百歳の誕生日に記念画集を発刊

福井市美山地区に住み、・ふるさとの自然を描き続ける洋画家、豊田三郎さんの満百歳を記念した画集「寿楽無窮」が、誕生日の18日、福井新聞社から発刊される収録作品ば風景画68点、静物画36点、自画像1点の計105点すべてを豊田さん自らが選び抜いた。制作年の古い作品から順に掲載しているため、作画傾向の移り変わりが見て取れる画集となっている。
「杉の画家」と呼ばれるほど美山地区の山林を描写した作品は多く、さまざまな緑色を生み出す技術は、「トヨダ グリーン」と称されるほど。
2004年、福井豪雨により故郷の自然が痛めつけられたのを機に本格的に静物画を始めた.研究意欲はますます旺盛で、画集タイトル「寿楽無窮」は、歳を重ねてなお楽しみは尽きない、と豊田さん自身が名付けた。
作品のはか、巻頭では豊田さんの日常を撮った写真グラフを掲載、百歳を迎えた今でも、地元の山河をスケッチに出掛ける様子を紹介、身上である「現場主義」を生涯貫く姿がよく分かる.また、折々に書き留めた絵画に対する思いや考えを、随筆や放談として収録した。
豊田さんは1908(明治41)年生まれ。
県立福福井農林学校を卒業後、父から農林業技術を学んだが、画家になりたいという思いは強く、24歳で上京し帝国美術学校(現・武蔵野美術大)に入学。終戦後帰郷し、50年から中学校の美術教員を17年間務めた。
 画業に専念したのは、妻が他界した後の82年から。80歳となる88年に代表作「黎明」(100号)を示現会展へ出品。以来、世界各地の美術展に要請出品を重ね、92年制作の「瀞」は世界芸術文化遺産に認定れた。2002年には世界各国芸術交流活動の功績により「ユーラシアン・レガシー」の称号を贈られた。
地元への貢献も大きく、98年に福井新聞文化賞功労賞を受賞、01年には美山町(現福井市)の名誉町民となっている。福井市役所美山総合支所には記念ギャラリー、収蔵庫が設けられているほか、同市役所市民ホールにも豊田作品常設ギャラリーがある。
 百歳記念画集は、A4判変型、146頁で、8400円。

 問い合わせ、購入申し込みは、福井新聞社事業局=0776(57)5180。




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