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2020.12.16 はじめまして。「農友会」の日記です。
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みなさま、はじめまして。福井県立福井農林高等学校の同窓会「農友会」のホームページ"大地 -TAICHI-"です。このホームページでは農友会の活動などを書いていきます。会員の方々には、今まで以上に、農友会の活動に関心をもっていただき、会報「大地」などの広報物はもちろん、ホームページも目を通してみて下さい。どうか宜しくお願い申し上げます。

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2013.12.19 国際交流の充実と農業高校拠点校に向けて

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国際交流の充実と農業高校拠点校に向けて
長谷川 俊基

 福井県農友会会長様はじめ役員の皆様、会員の皆様にはますます御壮健にて御活躍のこととお慶び申し上げます。また日ごろより本校の教育活動に特段の御理解と御支援を賜り、心から厚く御礼申し上げます。                          
 会員の皆様の御理解と御協力のお陰をもちまして、農文祭をはじめとした特色ある学校行事、インターンシップなどの地域連携事業、インドネシア共和国タンジュンサリ農業高校との相互交流など多彩な事業を実施することができておりますことに厚くお礼申し上げます。お陰様で本校独自の国際交流事業として行っておりますインドネシア農業研修派遣も、昨年十二月に第九回を行うことができました。今回はタンジュサリ農業高校との「相互交流の協定」の更新(五年ごと)を行い、交流事業がより一層発展していくものと願っております。従来より一日多く二日半タンジュサリ農業高校に滞在し、タンジュンサリ農業高校生との交流も深まり、また多くの実習にも参加をすることができました。植林実習やトウガラシの追肥実習、ヤシの葉や竹を使った工芸品作り、またサボテンの接ぎ木などの実習を体験したり、本校教諭がタンジュンサリ農業高校の教職員、生徒に福井県や本校の農業、学校についての講座をするなど、教育面での交流がより一層深められました。「将来世界の農業に関わる仕事をしてみたい。」など国際的視野を持つようになった生徒もおり、非常に強い刺激になっているものと確信しています。三学期の始業式後に報告会を行い、全校生徒に交流の成果を活き活きと伝えることができました。また、前回参加した生徒がこの経験をまとめ、「JICA国際交流エッセイコンテスト」に応募、全国審査で優秀賞に輝いたり、以前に参加した生徒はJICAで活躍するなど多くの成果を上げています。当事業への御理解と御協力に対しまして改めて厚く御礼申し上げます。
 平成二十一年三月の「県立高等学校再編整備計画」に基づいて、職業系専門学科の再編整備が検討されている中で、若狭地区、坂井地区の農業系二校の再編計画が示され、本校が農業高校の拠点校としての位置づけが示された形となりました。学校におきましては農業教育研究委員会を設け、将来に向けての本校としてのあり方、将来の農業の担い手、地域産業を担う人材の育成に向けて検討を進めております。産業構造などの変化、生徒、社会の多様なニーズの動向を見据えながら、人間生活の根幹に関わる食糧生産、生産から加工・流通に関わる6次産業としての農業経営に携わる人材の育成、生命を取り巻く環境保全など、今求められている総合的な農業教育を推進していく必要があると思っています。本校での生命、農業、環境に関する多様な学習、体験の機会を通して、生徒一人一人が「生きる力」を身につけて、卒業後もそれぞれの道で力を発揮してくれているものと確信しております。伝統ある本校としての位置づけを保ち、さらなる発展に向けて取り組んでいきたいと思います。
 最後になりましたが、福井県農友会のますますの御発展と会員の皆様の御健康、御活躍を心よりお祈り申し上げますとともに、これまでにも増して母校への御支援、お力添えをいただきますようお願い申し上げます。


2013.12.17 
「 心 を 大 切 に 」


福井農林高等学校(第9回卒業) 
伏 里 健 治


心を大切に生きていく・・・・これが私のモットーです。
最近、マスコミのニュースを見ていても、人の心を踏みにじむような事件が多く、自分本位で行動する人が多くなった今だからこそ、人の心、自分の心を大切にして行かなくてはいけないと特に思います。
私が、自動車業界のマツダで日本一を34年間連続で達成し、6500台もの車を販売できたのも、お客様に対する心を第一に考え、大切にしてきたからではないかと思っています。
私も、今までに沢山の人とお目にかかりました。その中で教えていただいた事が数多くあります。苦労に苦労を重ねては回りの人たちに助けられ、何とか切り抜けられた事も数え切れないぐらいあります。こうして、今日までこれたのも、回りの方々の温かい心の支えがあったからだと心より感謝をしています。
わずか87万人の福井県において、日本一を続けることができたのは「やれば出来る」、「行動すれば、それなりの結果が得られる。可能性がある」・「人に対する優しさ、思いやり」・「人の心の大切さ」そして、感謝の気持ちだったと思います。
自分の目標をしっかり持ちながら、ご家族や、諸先生方はじめつながりのある人たちを大切にしながら生きていくことは大事なことではないかと思っています。
今日という日はもう帰ってきません。「1日1ミリ」という言葉があります。真面目に心を尽くして歩いて行けばきっと道は開けます。

2010.01.25 日本一のトップセールスマンが語る 「真心セールスで日本一」
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日本一のトップセールスマンが語る 「真心セールスで日本一」
    
講師 伏里 健治 氏(農高9回卒)

  真心カーサロン(各種自動車販売・各種保険扱い店・高級ウレタン焼付け塗装・車検)


 伏里さんは、昭和37年マツタオート福井に入社し39年より自動車販売の営業マンとして、現在にいたるまで常に新車販売日本一の業績を挙げてきました。平成7年に福井日産に移り、さらに現在後進に指導される立場になられてからも含め、通産販売台数6,521台前人未到偉業を達成されました。しかもわずか人口20万余の福井市を中心に、販売シェア5%のマツタの車(トヨタはその約十倍)でこの数字は実に驚異的で、その間いく度も経済誌、週刊誌、新聞テレビに取り上げられ、知る人ぞ知る大変有名。「営業マンとして当たり前のことをしてきただけ」、「1台売ったら、またゼロからやり直し」「ゴールのないマラソン」という言葉には生きる勇気と力があふれています。「断れた時、自然な笑顔で帰れるようになったら一人前」、セールスは「無心」と「お客様に感謝する気持ち」が大切といった言葉一つひとつに、氏の貴重な経験と情熱が込められております。
現在の地位に就かれてからも、「自分に喝を入れる」ために販売営業の現場に立つといわれる氏から、フレッシュな謙虚さも伝わってきます。
 今回の講演も、大変有意義なお話になると思います。


伏里 健治 氏の「プロフィール」昭和37年 農高9回 林業科卒
  
・昭和18年5月14日生まれ
・昭和37年3月農高9回 林業科卒業
・昭和37年4月マツダオート福井入社(2年間 業務関係の日々)
・昭和39年営業マンとしてスタート
☆34年連続「金バッチセールスマン」
 (年間新車販売台数120台以上)

(34年連続日本一)
 
☆18年連続「ダイヤモンドセールスマン」
   (年間新車販売台数240台以上)
 ☆年間最高販売台数289台(日本一)

・オールマツダで日本一のトップセールスマン
◎週刊ポスト・週刊現代等「日本一の営業マン」として掲載される。           
 ◎民間大手生保会社等で講演依頼殺到
 ◎NHKニュースワイド・福井テレビに登場

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マツダ一のお得意さまの数を誇る豪快営業マン
伏里健治さん

「仕事のスランプ?もう、10年ぐらい感じたことないですね。思うように仕事が.いかんときには、少し気持ちが沈むことはありますけど、悩みは知らぬ問に自分で解決できるようになりましたよ」そう言って、豪快に笑う伏里健治さんは、入社22年のベテラン営業マン。

営業部長として部下を管理しながら、自身も営業活動に忙しい。この余裕。これがベテランというものか。「営業マンとして当たり前のことを普通にやれば、だれでもいい成績を上げられるはずですよ。お客様との約束を厳守するとかね」

その当たり前のことをやった結果が、総売り上げ台数役3200台。新車売り上げ一台につき1ポイントで計算されるバッジ制度では、きわめて優秀な成績・金バッジを、今年の秋で18年連続受賞した。しかも、ここ6年は、200ポイントを越す成績で、ダイヤモンドバッジを取り続けている。

お客様の管理件数は1000台を越え、これはマツダ会社のトップだ。入社5年の営業マンなら150台が普通というから、伏里さんの実力がどれだけスゴイかわかろうというもの。胸のダイヤモンドバッジ(本物のダイヤが埋め込まれている)にちらっと目をやりながら、伏里さんは語る。

「マツダだからやれたのだと思います。業界3位だからやりがいがある。もっと上へ上へ、と思うでしょう。それに東洋工業㈱の山崎社長をはじめ、マツダはグループをあげて営業マンをものすごく大事にしてくれる。だからやれた」目標を立て、努力し、達したらみんなで祝ってくれる。そんなマツダの雰囲気が、営業マンの気持ちを盛り上げるのだ。

「毎年2月、東京で実施される全国優秀マツダマン表彰式の瞬間の味を覚えてしまったら、その味が忘れなくてまた頑張るんですな。それから、年間100台、200台を売った瞬間、ね。たった2・3分かそこらのことなんですけど。私は瞬間に生きる男ですかな」、ワッハッハ、とまた笑う。「ベテランだから気を抜こうとする。そうなるのが一番危険、そうならないようにといつも心掛けている」伏里さんにとって仕事とはなんですか、という問いには間髪を入れず「生きがい」と答えてくれた。

演題「真心セールス日本一」 講師:伏里健治先生

これから社会に巣立っていく生徒たちにこれまでのセールスマン人生を語って下さいました。
自分を育ててくれたのは福井農林高校。そして野球部、という先生は車のセールスを始めたとき1台も売れないという日が半年間続きました。しかし、その中でも粘り強く周囲への感謝の気持ちを忘れずに努力した結果34年連続金バッジセールスマン18年連続ダイヤモンドセールスマンという素晴らしい業績を残しました。

○人より2倍、3倍やる

○目標を持って、それを実現できるように努力する

○スランプは、神様から与えられた「ご褒美」

○今日という日は来ないから十分楽しむ

○一日一日を大切にする

○一日1ミリ

○人にやさしく、自分に厳しく

○心で車を売る

○友達・先生・家族に感謝し、あきらめずに何事もやっていく

○挨拶が大切だ

 ○自分が立てた夢はすべて実行した

○断れたら笑顔で帰る

○自慢したところで人生は終わりだ

○やればできる、やらなければ何も始まらない

○努力をたくさんすれば、必ず報われる

○先輩でも、後輩でも敬語を使う

○相手の心を大切にする

○一度失敗したことでも再度やる

○体力・気力・知力






2008.11.17 

■会社訪問■

お仏壇の 「株式会社 滝本仏光堂」

○仏壇・仏具・寺院仏具・神具
仏像・仏壇修理仕込・仏壇企画制作・仏間制作・各宗派本山仏画・仏額・表装全般
本店 大阪府守口市梅園町2-22
℡ 06-6993-0001  フリーダイヤル 0120-001-363



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㈱滝本仏光堂 代表取締役  滝本  正 氏(昭和19年 農林第44回卒)

 創業者 滝本正 創業の志とその歩み
滝本 正  (大正十五年 福井県丹生郡越前町梨子ケ平生)

●生誕地 「梨ケ平」と滝本家
歴史と山紫水明の地として今につたわる梨ケ平。その昔、“一の谷の戦”で敗れた平家の落人が隠家としてつくった七つの“平”のうちの一つである。時代は移り徳川幕府の頃、梨ケ平は天下の直領、すなわち本坊領土として栄え、滝本家は大庄屋をつとめ共に発展してきた。有名な越前水仙の発祥地として、晩秋から春彼岸にかけては花の咲き乱れる、風情豊かな地である。

●大志を胸に戦争へ
時は大正。美しい梨ケ平で農林業を営む家に生まれた滝本正は、少年時代から何か人のためになる仕事をしたい、と望む少年だった。やがて福井農林学校在学中に志願にて第二次世界大戦に従軍。陸軍特特別幹部候補生空隊戦闘機部隊に所属、マレーシアにて戦火をくぐり終戦、復員後卒業。数えで二十の年であった。

●戦争の混乱の中から
戦争体験で何よりも強い意志を身につけた滝本正は、いちはやく戦後経済の復興気運をとらえ、動き始める。各地を回りながら繊維・生花・食品等を商い資金を貯蓄。二十二年故郷に製材所を造り、建築業を営む。その後仏壇の製造に着手。同時期仏門に帰依することを望み、京都府八幡の忍徴院にて二年間の修行に励む。

●仏壇店創業へ
その後、滋賀県日野町平子の澄禅寺において、井上上人(元知恩院副管長)に仕え、上人より特別の才を見出されて仏壇店を興すよう薦められる。以後滝本正は全国をまたにかけての仏壇修復の旅で技術を磨く。その数は千基にものぼった。滝本正を動かした信念は「ひたすらな努力は必ず道を切り拓く」。昭和三十五年、滝本仏光堂は大阪府守口市にて創業の産声をあげた。

●「しあわせ」企業を支えたひとり
人々の暮らしに安らぎを届ける企業として、順調に店舗を拡大。滝本正と滝本仏光堂の歩みは、また、滝本正とそれを支える者たちとの息の合った歩みでもあった。父作治、母りゆの生涯を通して親孝行であったことが、滝本正にとっては精神的に大きな支えであり、又、中でも妻、滝本富子は、福井女子師範学校卒の小学校教諭。真面目で間違ったことの嫌いな同女は、滝本正の最もよき理解者のひとりとして、生涯にわたり経営を支えた。
平成三年六月十二日没。                    合掌。
 
●株式会社 滝本仏光堂
人とともに歩み、人の心を育む。「しあわせ」伝達企業
親から子へ、子から孫へ。有史以来永きにわたり仏壇・仏具は「心の窓」として人と仏、人とご先祖を結び付け、人々の心を支えてきました。滝本仏光堂は人の「心」を育むことを誇りに思い、いかにして、「しあわせ」を提供していくかを常に考えております。そのため、事業は仏壇・仏具の製造販売だけにとどまらず、修復や寺院仏具の設計・施工、そして美術品の取扱・・・と広がっております。時を超え受け継がれる和の文化を通じて「しあわせ」を紡ぐ、「しあわせ」伝達企業。
滝本仏光堂の創業の志はここに脈々と、息づいています。

㈱滝本仏光堂 代表取締役  滝本  正さん

人は心静かに何かを祈るとき、知らず知らずのうちに手を合わせている。亡くなった方の面影を偲ぶ時、縁ある人の幸せを願う時、そして迷いを絶ち決意を決断する時、福井県越前町、越前岬に群生する越前水仙の発祥の地、また、「日本百選」の千枚田で有名な梨ケ平で滝本氏は生を受けた。大正15年4月22日生まれ、この誕生日で80歳、傘寿を迎える。平家の落人が流れつき住み着いたといわれる地で、生家は代々大庄屋を務めたという。歴史を背負った家には土地の人とは幾分違う言葉が残り、日常語として使っていたそうだが、あまり多くを語りたがらなかった父母に滝本家のルーツを聞くことはなかった。

4人兄弟の長男。県立福井農林学校を卒業した後、百姓をしながら持ち山の材木を使って、仏壇用の製材所を経営していた。しかし、商売をさせたくない父は「店をするなら千本の仏壇を手がけてこい」と息子を家から送り出した。材質の善し悪し、作りの仕組み、仏工としての基礎は修繕修理の中で学び、理解し、そして腕を磨いた。目利きの修行は関東・近畿・中国地方へ流れながら身についた。働けば余分なことは考えない。何の栄養剤を飲むよりもまずは仕事だ。そして精神修養のために2年間、寺に入門した。

早朝よりの厳しい仏道修行、そして得道直前に師から言われた、僧侶になるよりは仏壇屋になったらどうか。一本筋の入った、折り目正しい気質に師は商売人としての器量を見た。
商売をするなら、商売の神様、松下幸之助がいる守口へ。日の出の勢いで世界へ進出するナショナルのお膝元を出発の地に選んだ。昭和35年、35歳の時だった。現在支店を含め10店舗、仏壇の販売は元より寺院仏具の設計施工から、仏壇の洗い・修復まで業務の幅は広い。父譲りの礼儀正しさは、従業員一人ひとりの爽やかで丁寧な接客態度の中に生きている。「お客様はお金で仏壇を買うだけでなく、先祖を敬い、手を合わせる為に買われる。物を買うのとはどこか違う気がする。ほんまに偉い人やなあといつも思う」と滝本氏。購入者への感謝の気持の心、報恩の心が尊敬の思いになってアフターケアに現れている。些細な事にも親切・丁寧・ご縁を忘れずにと。

昭和50年、生家の隣に明治百年を記念して城郭仕様の「滝本美術館」を建築した。一の谷の戦いで敗れた平家の落人が流れ落ち延びた先の地、梨ケ平、その後、徳川幕府の直領として歴史を重ねた中で滝本家に代々伝わってきた家宝の中には、大名が足を洗った金箔塗りの桶もあるという。
こうした歴史遺産の数々と永年にわたり収集してきた宝物を地元の人々の希望もあって鍵は村に預け一般公開している。テレビコマーシャルの女の子が可愛い声で訴えかける「手と手を合わせ幸せ」。滝本氏の心情が、この短い言葉に表されている。こんな不条理な世の中だからこそ、人の温もりと人の暖かさが求められる。人は繋がる生命に気づいた時、人の思いやる心が生まれ、より人間らしい輝きはじめる。悟達の大正男は健在である。



2008.09.11 
清川 忠(元会長) 福井県農友会旗を寄贈する。   平成20年6月21日

       福井県農友会旗           

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             旗というものは、その会の発展を象徴するようなシンボルです。

・紫紺は、尊厳さとうるわしさの中に希望と創造性を表現した色ですので、紫の色を使いました。

・中央の福井県地図は、農友会は、同窓会の名称として福井県という名前がついているのが農友会だけであります。そのイメージを旗にも表現させていただきました。色も農林高校にふさわしいグりーンの色・将来への輝かしい農友会としての色にしました。

・「大地」の文字を入れた理由は、学校の校訓になっております「大地に生きる」この言葉を大事にし旗の中にも入れました。


・制作 平成20年6月21日


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2008.09.10 
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「農友会のさらなる発展を願って」     田辺 甚兵衛 氏  

このほど、松岡分会の田辺 甚兵衛氏(昭和三十年 農高二 林業科卒)より農友会のさらなる飛躍を期待し、「農友会の活性化のために」の寄稿をいただきましたので掲載します。

農友会は、母校の一〇〇周年を契機として山崎善弘前会長主導のもと各地域に分会を設置して、色々な事業を活発に展開して学校側を支えてきましたが、年月の経過と共に段々に農友会活動も低調になってきつつあるように思われます。又、本部の予算につきましても当時の約半分であり、歳入予算の内訳を見ますと約六割が卒業生の納める終身会費で賄われている状況であります。
 各分会の活動状況を見ますと、二~三の分会を除いて殆どの分会が、二~三年に一回総会を実施しているのが実情です。分会によって、広報紙会報「大地」を郵送するだけの存在になっています。現状を打開するためには、組織改革をすることが今後の課題であると存じております。
 そこで、次のことを大変恐縮ですが事務局にお願いさせていただきました。

1.農友会強化の必要性
 福井県農友会は、115年の歴史と伝統を誇る学校として、いつまでも輝き続けてほしいと思う心は共通であります。しかしながら、時代の潮流の中で日本の農業自体が過度期にあり、又、少子高齢化が進行する中で学校の統廃合の問題が最近出てきておりますが、母校の名前を消すことなく存続させてほしい。

2.分会のあり方について
① 会の総会〈事業と予算)及び研修会など
② 会費の徴収と本部への会費納入
③ 年に1回総会を開催する会とする。
④ 農友会の総会に積極的に参加し、パーティ券3~5枚の購入に協力する。

3.本部活動のあり方について
① 底辺の拡大のために、本部と分会の結束を図り、さらに努力してほしい。
② 本部の歳入予算構成について、各分会からの会費・終身会費・賛助会費・県外居住からの会 費・広告費などをバランスよく集めること。
③ 地域社会での関連企業との連帯強化を積極的にお願いしたい。

いろいろと農友会に寄せる私の思いを申しあげましたが、今後、農友会が一致して組織改革に取り組み、盛り上がればと願っています。

2008.09.09 
「恩師の近況」

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        吉田佐内先生(農林42回卒)  

11月27日、吉田佐内先生のお宅を訪問しました。
先生は、母校に昭和58年4月より3年間、母校の学校長として、母校ならびに福井県農友会の発展にご尽力をいただきました。
定年退職後、引き続き仁愛女子短期大学に専任として勤められ、平成9年に退任、49年の長い教員生活を終えられました。

<福井国体に尽力>
当時は、全国的にも学園紛争の嵐が吹き荒れ、本校でも長髪が自由規制化されたり、その他一泊研修の新設・校舎の新築等、変化の激しい時代の中、先生は県民挙げての大行事であるインターハイ・福井国体の開催にも特段のご尽力をいただきました。
昭和37年、福井国体に備えて、まず、福井県協会の設立にご尽力、各高校は未種目のスポーツを一つ受け持つということで、開催地の今立町に協力する意味でフェンシングを採用し、高体連のフェンシング事務を引き受け、世話役をされました。組織作りや、選手育成等にも手腕を発揮、今日までに五輪、世界選手権代表となる選手を輩出され、県内フェンシングの基礎づくり、発展に寄与されました。その後、県フェンシング協会長を長年務められました。さらに草創期の鯖江高校より優秀な選手が輩出し、国体・インターハイ等に出場して数々の輝かしい成績を残されました。

<農業教育に功績>
 学校においては、「地域の産業構造の変化や、生徒の多様化に応じた農業教育の改善及び充実のための教育課程のあり方」について、二ケ年にわたる研究成果の発表や、環境の変化によりマラソン大会を強歩大会に変更するに至ったことなどが思い出として話をされました。特に印象深いものとしては、90周年の式典並びにブロック塀建設や、特別教棟の改築などをあげられ当時を懐かしそうに振り返りました。
それから、学級懇談会(保護者会)についても話をされ、毎学期の終わりには、担任より成績表を通して個々の生徒に対し適切な指導が行われていたが、学校はどのような教育方針のもとに取り組んでいるかを、全ての保護者に伝える機会とはならなかったので、特に「父親の出席」を要請させていただき、学校の現況と今後の方針等の説明を行い、保護者のご理解とご協力をお願いする機会としたことや、更に、年度毎に地域を変えて、PTA会長・副会長が中心となり、和やかな雰囲気のもとで、地域別の懇談会も開催し、学校運営に指針となるご意見を伺うことができたようです。
農産物の即売についても話をされました。農産物の即売は、以前にもあったようですが、学校は地域に開かれたものであり、地域との密接な関わりの歴史の上に現在があるということで、地域の人々の触れあいと心の交流を積極的に図り、農林高校を理解していただく絶好の機会をではないかと考え、今のような農文祭の行事として復活させたそうです。今では、本校の伝統的行事になっています。このことによって、目的意識をもった生徒が一人でも多く入学して、社会に出てからも活躍が期待されるのではないかと考えたそうです。即売会は、耕志会(農村で活躍している卒業生)の協力を得て実現することができた。と当時の学校での思い出を語っていただきました。

<日々是道場>
先生は「日々是道場」という座右の銘を持っています。これは、自分が弱い人間だから、きちんと自分のなすべきことをわが心に刻みつけて、必ずそれを果たすために、絶えず、身近に備えていた言葉であったようです。何事によらず、心を新たにして出発する際には、自分は今何をしようとしているのか、その目標をはっきりと確認することが大切、目標が定かでないと、人間は弱いものですから、易きに流れて意欲を失ってしまいます。それぞれしっかりした目的・目標を持ち、それに向かって努力するということは、すばらしいことではないか。是非とも「学び」の時代を、より充実したものとするよう心がけて欲しい。先生の好きな言葉に「継続は力なり」がありますが、志の達成のために、何事も粘り強く努力を続けてほしい。と最後に母校の生徒にエールを送っていただきました。

現在、83歳、少し体調を崩したこともあって、体力がやや衰えたとおっしゃっていましたが、お元気で私たちに対応してくれました。元気な様子を会報でお伝えします。ということで自宅を後にしました。尽きない思い出話の数々、貴重な体験をお伺いし本当にありがとうございました。先生の今後益々のご健康をお祈りいたします。


2008.09.03 
新会長就任

会長写真
    福井県農友会 会長  木村 市助 氏

 ・・・略歴・・・
・昭和34年3月 県立福井農林高校卒業
・昭和36年3月 県立高等農業講習所卒業
・昭和36年4月 福井市農業協同組合勤務-農業指導員として入り、その後、店舗・金融・企画等務める。
・平成 6年3月まで33年間勤務一地域農業振興に務める。
・平成 7年5月~平成19年5月まで福井市議会議員(3期12年間)    
     その間、各委員長(平成10~15年の間)及び議長(16年6月~18年6月)
・平成19年6月~平成20年6月まで、 福井県農友会副会長
・平成20年3月より福井市シルバーバレーボール連盟会長に就任
・平成20年6月21日より福井県農友会 会長に就任


<就任挨拶>
 会員の皆様方には、ますますご壮健にてご活躍のこととお喜びを申し上げます。また、母校の教育振興と在校生の激励のために、平素から特段のご後援を賜りまして、厚く御礼申し上げます。
 私こと、今年の総会の役員改選において、清川 忠会長がご退任、その後任として会長に就任することになりました。前会長同様に、会員の皆様のご協力ご指導ご鞭燵下さいますようよろしくお願いいたします。甚だ微力ではありますが精一杯務めさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
最後に、農友会会員の皆様方の、ますますのご健康とご活躍をお祈りいたしますと共になお一層のご支援・お力添えをいただきますよう重ねてお願い申し上げます。



元気に100歳    農友会 木村市助会長が自宅を訪問し100歳誕生の長寿を祝った。
私ども農友会のみならず福井のいや日本の宝であります豊田三郎画伯が非常にお元気で、このたび100歳の誕生日をお迎えになりました。木村会長は「いつまでもお元気で良い作品を生みだしてください」声をかけていた。「絵描きとしての運命を与えてくれた神様に感謝したい」と笑顔を見せた。

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会長 11月1日の母校の農文祭に参加
                  張り切って「もちつき」に挑戦!

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2008.09.03 
着任ご挨拶

校長挨拶
                             学校長 浅野清美 


桜の開花とともに新生活に意欲あふれる148名の新入生を迎え平成20年度の教育活動がスタートいたしました。
農友会会員の皆様には、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。また、日頃から母校の教育にあたたかいご理解とご支援を賜り、心から感謝申し上げます。
 わたくし、このたびの定期異動により、本校の校長を拝命いたしました。もとより浅学   非才の身ではありますが、1万3千余名の会員の皆様のご支援を頂きながら、教育の充実・発展に精一杯努めさせていただく所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 本校には、昭和63年から16年間勤務させていただきましたが、社会の変化と共に農業高校の役割や農業教育の在り方が問われる大きな時代の流れの中で、私自身生徒と共にさまざまな経験をすることができました。修学旅行ファームステイや田植え、演習林実習など本校の特色ある体験学習をはじめ、学科再編や創立百周年記念事業、ふれあい農園やふれあいマートの開設にも携わって参りました。また、第5回インドネシア農業研修生派遣の引率教員として、国立タンジュンサリ農業高校との友好協定書調印の場に同席し、国際的視野に立った教育が進められる喜びを実感しました。農友会・PTA・学校の三者合同での農文祭活動などを通して、開かれた学校運営や農業教育に関わる事が出来ました。教師としても、一人の人間としても私を育て導いて下さった福井農林高校で、再び勤務することが叶い、喜びと重責をかみしめております。
 本校では、平成18年度文部科学省から委託された「目指せスペシャリスト、スーパー専門高校研究開発校」の研究が順調に進み、高い評価をいただいている他、昨年度は、環境工学科の水田魚道の開発による環境保全、生活科学科の食生活改善研究など高い専門性を持った生徒の主体的活動が認められての表彰をはじめ、野球部・レスリング部・相撲部・郷土芸能部と本校の特色ある部活動が活躍し学校が大いに活気づきました。さらに、インドネシア農業研修生の受け入れや、農業高校ならではの学校行事を無事終えることができました。これもひとえに、教職員の指導は勿論110年を超える歴史の中で培われてきた伝統の力、そして母校への支援体制を強化し、教育活動のあらゆる分野にわたってお力添えを頂いている農友会のおかげであると感じております。今年度も、生徒一人一人の活躍の場を見つけながら更なる発展を目指したいと願っております。
 昨年12月には高等学校教育問題協議会が発足し、産業構造、就業構造の変化に伴い、職業教育に対する社会や生徒のニーズの一層多様化を受け、職業系学科の在り方についての検討をはじめました。
その動向を見据えつつ、本校は農業の専門高校として、生命を育て食料を生産するという農業の本質に取り組むことを基本に置きながら、生産から加工・流通を一貫してとらえた総合的な農業教育の充実を図るとともに、バイオテクノロジー、環境問題などの分野の教育を推進して、これからの農業経営に必要とされる総合的な能力を身に付けた人材の育成を目標に、多様な学習の機会を通して、学ぶことの喜びが得られる教育活動を実現する所存であります。どうかこれまでにも増してご理解とご支援を賜りますようお願いいたします。




豊田三郎さん元気に100歳! 
                           浅野校長”長寿を祝う”
学校長は、9月22日、福井新聞社=風の森ギャラリー訪ね、美山のふるさとの風景を描き続けておられる、また、世界的な評価を受けておられる豊田三郎さんの「豊田三郎画伯百歳記念個展」を鑑賞された。


asano toyoda





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